昨日から頭の中をぐるぐると劇中のいくつものシーンが駆け回っている。
ロロ『父母姉僕弟君』は僕の感情を大いに揺さぶり、一生忘れられない記憶となった。嗚呼、何故演劇は見返すことができないのだ。一回きりの刹那性、その場限りの臨場感が演劇の良さだとは知っていながらも、この名演を何度でも観たいと思う気持ちに嘘はつけない。
それこそがこの演劇の主題でもあり、そこを見事に描き切った脚本・三浦直之と、演じ切ったロロのメンバーに最大級の賛辞と愛を込めて。レビュー、行きます!
ロロ『父母姉僕弟君』
ストーリーは『キッド』と『天球』の出会いから別れまで(そして別れから出会い)を描いたボーイ・ミーツ・ガールもの。
時間軸、場面、関係性、生死の境。とにかくあらゆるものが破茶滅茶に切り替わり破綻し、観客をこれでもかというほど翻弄させる超奇天烈なストーリーではあるのだが、大別するならばタイムループものだと言って差し支えない。『プロポーズ大作戦』然り『Steins;Gate』然り『流星ワゴン』然り(思えばなるほど、車・家族というテーマにおいては流星ワゴンが最も親和性が高い)、未だタイムループものに間違いを見たことの無い僕である。
のび太も、マーティ・マクフライも、過去にやってきた息子は両親の仲をとり持つもんだからね
劇中のこのセリフには思わず胸がいっぱいになってしまった。
願わくばディスコで
親父と母さんが会った日に行きたいね
後ろのJocksに酒かけて
息子 直々にチャンス作ってやんぜ
PUNPEE – 『タイムマシーンにのって』
このアルバム自体バック・トゥ・ザ・フューチャーがテーマの一つとなっているのだから当たり前の話ではあるのだが、この歌詞を引用することを我慢ならなかった僕を許してほしい。
さて、劇中では兄弟が他人になったり、死んだ人が生き返ったり、人間が猫になったりと滅茶苦茶な展開が続く。更には今観ている時間軸が過去なのか現在なのか未来なのか、それが一生はっきりしない。過去の話かと思えばそこには過去の人物と未来の人物が一緒に登場していたりと、てんで滅茶苦茶。なので整合性を見付けながら観ようとすると実に翻弄されることだろう。
全てのシーンに重大な意味やメッセージがあるかと聞かれれば恐らくそうではないのだが、とにかくストーリーの疾走感、錯綜感が凄まじく、流されるがままに気が付けばクライマックス。だがそのラストシーンを観てしまえば、それらが全て意図的に破綻させた(当たり前だが)物語であることがわかり、三浦直之(ロロ主催者・脚本)の見事な手腕に感服する他ない。
どんなに忘れまいとしても、どんなに大切なことでさえも忘れてしまう僕らが、唯一過去を忘れないでいられる方法。
五感と語彙のあらん限りを尽くして”今”を描写し、表現すること。それこそが過去と現在、未来を繋ぐ唯一の方法である。
これこそがこの作品の主題であり、トンチンカンで破天荒なこの物語を繋ぐ鍵なのだが、この主題を知っていればこそ燦然と輝く名台詞が劇中には散りばめられていた。
とりわけ想像力で生死の境を超越する『電源』の
貧困な想像力だなぁ!
は忘れることができない。
想像すること、イメージすることは描写することに似ている。過去の映像や音声、匂い、味、手触りに到るまでありとあらゆる情報を脳裏から引き出し、現在に投影する。死者でありながらスクールカーストの最上位を夢見て、ぶりっ子の自分を想像し続けた『電源』なればこそできる事は、『キッド』にはできない。だから僕たちは描写し続ける訳だ。
夕べ見た 夢の中 幸せの星ひとつ
もうそれが とても綺麗で
忘れることができない
曽我部恵一 – 『シモーヌ』
忘れることができないのか、忘れまいとして作った曲なのか。曽我部恵一以外には知る由もない事なのだが、多くのクリエイティビティは後者に宿るのではないだろうか。
それにしても、劇中随所に散りばめられた曽我部音楽の素晴らしさよ。冒頭のシーンで『Love Sick』がかかった瞬間、一発で物語に引き込まれてしまった。僕がサンシアターに着く前、たまたま最後に聞いていたのが何を隠そうこの曲だったのだ。
ロロが素晴らしすぎる
ロロやばい!劇団やばい!演劇やばい!
ロロの公演は今後ひとつ残らず観に行こうと決意しました。
脚本の三浦直之が監督、そして僕の前の席に座っていた江本さん(EMC)が作曲した名曲の記事はこちら
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