毎年この時期になると、僕は何もできなくなる。
目前に迫ったフジロックという大きすぎる存在に目が眩み、周りに数多あるはずの「やらなきゃ行けない事」の輪郭がぼんやりとしてくる。仕事は精彩を欠き、何事にも集中できず、ただただ日中からビールに溺れるあの日々に思いを馳せるだけ。フジロックへの憧憬が義務感の認識を阻害するのだ。
そしてそんな時、決まって思い出すのはこの一節だ。
そぞろ神のものにつきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず。
初めて読んだのは中学校の国語の授業。それ以来この言葉はどっしりと僕の心に根を張り、浮つく僕の心にやってきては、その気持ちを更に駆り立ててゆく。
松尾芭蕉『奥の細道』
先の一節を僕なりに意訳してみよう。
とりあえず旅行きたすぎてマジヤバイ。てかもはや旅が呼んでる。「早く来い」とか言って笑
あーもーまじ何もできねぇわ。
超アツい。何だこの文章シビれるマジで。彼がこの旅に出たのは45歳の時。当時の寿命や、旅に出たその5年後に死去した事を考えると、まあまあのおじいちゃんだ。
そんなおじいちゃんがだ、旅に対するワクワクを抑えきれず、こんなアツい文章を残し、身体の不調を顧みる事なく、もはや住んでいた家すら引き払ってまで旅に出る。自分の欲求に素直すぎて、いい歳して全く我慢ができていない。最高のじじいだ。
そしてその事を踏まえて序文の前半を見てみよう。
月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらえて老いを迎ふる者は日々を旅にして旅を栖とす。
古人もまた、多く旅に死せるあり。
いい事言ってるけど、これ全部言い訳。
お洒落で美しい言葉並べてるけど全部自分が旅に出るための言い訳。意訳したら「旅って最高だよね」ってだけの話だからね。旅に出る自分を肯定するための文章を、ちゃっかり前半に用意しているあたり、松尾芭蕉もなかなかチャーミングだ。
やりたい事があって、それに対するワクワクが止められないのは子供だけじゃない。大人もじいさんも、誰だってワクワクしちゃってたまらない日がある。24歳若さ絶頂働き盛りの僕、負けてらんねぇなって思う。もっとワクワクしちゃおうぜ。