自意識と生き辛さとリトルトゥース。若林正恭『ナナメの夕暮れ』

いい本

このエッセイは、若林のブルースであり、彼が同類に向けた救済だ。

若林のあまりの捻くれ具合に、共感半分、なんじゃそりゃ半分で読み進めながらも、気付けばずしりと大きな読後感があった。他人の心境がここまで明け透けに綴られたものって決して多くない。僕は幸い、彼ほど捻くれちゃいないが、この本を読んで分かったのは「若林みたいな人がいる」という事。そして「生き辛さ」は明確に存在していて、「僕はそれを知らなかった」という事。

生き辛さを抱えた人への救済でもあり、そうでない人に向けたある種の啓蒙であり、そして若林の独白でもあるこのエッセイ。今日はその話をしよう。

若林正恭『ナナメの夕暮れ』

一時期、毎週欠かさず『オードリーのオールナイトニッポン』を聞いていた。2時間の放送時間の内、4〜50分に渡るオープニングトークという名のフリートークをカマすこのラジオ。コーナーもあることにはあるのだが、なんだかんだ言ってオードリーの2人が繰り広げる「駄弁り」を聞くのが何よりも好きだった。

ラジオを聞いたことがある方はご存知だろうがこの2人、冗談抜きで本当に仲が良い。世間にはオードリーをBL視する輩もいるとすら聞くし、事実それが疑わしいくらいには仲が良い。最近では2人セットで見ることも減ってきた彼らだが、中学時代からの友人である2人の仲良し具合ったらもう、こいつらこれファミレスで収録してんじゃねぇの?ってレベルで、思わずニヤケてしまうくらいに”良い”のだ。(余談だが、僕のラジオ『ピザラジオ』の月刊号は完全にこれを意識している。)

ここで発揮される若林の真価、そしてビジュアルを奪われた春日の頼りなさよ。思えば僕はこのラジオで、完璧に若林のファンとなったのだ。

トークの面白さはもちろんのこと、機転、春日への話の振り方と意地悪さ、そしてラジオで話している時の若林の楽しそうな声。TVでは決して出さない若林の底意地の悪い一面と、これもまたTVではあまり見られない心の底からリラックスしている彼の実力。僕はラジオの若林が本物の若林で、TVの若林はきっとTV用の若林なのだとすら思っていた。

さて、この若林のエッセイ、彼自身の難儀な性格故の「生き辛さ」を抱えて過ごした30余年の人生と、そんな彼が自身を肯定し、日々を楽しめるようになったこの数年のことが描かれている。もともと雑誌『ダヴィンチ』での連載だったこともあり、一つ一つのエピソードは短め。若林の文章力も相まって実にサクサク読める。サクサク読めるのだが、その一つ一つがいちいちグッとくる。グッとこないやつもあるけど。

特にリトルトゥースの出待ちの少年の話。あれはもうまんま「ブログに書いてたあのアーティストいいね!」と言ってもらえた時の僕の心境だ。なんのために書いているのか見失いそうになる時、それを教えてくれるのはいつだって自分の内側(自意識)じゃあない。友人とか、恋人とか、時には名前も知らない他人だとか、そういった自分の外側にある存在だ。

そんな当たり前で、些細な事に一つずつ気付いていく”おっさん”の物語。その不器用さと、彼が自分の人生を取り戻していくその過程はどうにもこうにも素晴らしくて、なんだか胸がいっぱいになってしまう。彼の言葉を読みながら、僕まで一緒に不器用さを克服しながら歩んでいるみたいで、ああもう思い出すだけで少し泣きそうになる。

しかしこのエッセイ、何かに似ていると思ったら福島鉄平『サムライうさぎ』の第一話だった。

武士社会の息苦しいしきたりに、流されたり揉まれたりしながらも不器用に生きるサムライの話なのだが、その不器用さが若林とそっくりだ。「もっと上手くやっちゃえば楽なのに」と思うと同時に、その不器用さを羨ましく思う僕がいる。若林の不器用さも、きっと僕が彼だったら持て余すだろうし、なんで僕ばかりと嘆くだろう。それを彼は30年かけて解決して、こうして文章にして、しかもそれが底抜けに面白い。そもそも僕が憧れたラジオの若林は、捻くれていて、皮肉屋で、性格が悪くて、そしてめちゃくちゃに面白い若林だ。彼の不器用さにも、どこか憧れに似た気持ちを抱いていたものだ。

あとは前述の通り、明け透けに自身の心情を吐露している姿が、こだま『夫のちんぽが入らない』とも似た空気を感じたな。

こちらにはヒリつくような緊張感と、どこか遠い国の物語を読んでいるような幻想的な雰囲気があるものの、自身への劣等感やネガティブな感情を包み隠さず文中にぶちまけるそのスタイルは共通だ。

あとあれだ、「日本語ロックの西日」こと台風クラブ。

ナナメの夕暮れ=斜陽=西日。思えば台風クラブもなかなかの遅咲き。くすぶり続けた彼らが鳴らすサウンドにはブルースがあって、この本と彼らの音楽はすごくリンクしている気がした。

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”ナナメ”な人も”まっすぐ”な人も

まっすぐな人には、ナナメな人が理解できない。他人の痛みを100%理解する事なんてできないのだから当たり前の話だ。でも、『ナナメの夕暮れ』は、この世にとんでもなくナナメな人間がいる事を教えてくれる。この本を読む事で、他人のナナメが分かるようになる。

若林ほど捻くれていない僕がこの本にいたく感動してしまったのはきっと、彼の文章が極めて実直にブルースを鳴らしていて、気付いてくれと叫んでいるのが伝わったからなのだと思う。僕はもう、”ナナメ”を知っている。

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