日々のこと、2021年8月28日

日々のこと

今週の『おかえりモネ』が落ち週でちょっとげんなりしてしまう。僕はモネとみーちゃんには仲良くして欲しいし、りょーちんには悪いが菅波先生(坂口健太郎!)とモネのイチャラブを心ゆくまで眺めていたい。ありとあらゆる歯車が狂ってしまった今週後半は、朝から気分も沈むというものだ。

それにしても朝ドラを観始めて早一年弱、こんなにも生活に溶け込むコンテンツだとは思いもしなかった。僕はまあまあな習慣信者なので、習慣こそが日々を形作ると信じて疑わない。現代に生きる僕らは忙しすぎて、僕らの日々はうねるように簡単にその形を変えてしまう。その中で毎日の習慣だけが、僕らの暮らしの中で確かな時間として存在している姿は美しく、とても強い。朝ドラを観る、窓を開けて換気する、花の水を替えて根を切る、歯を磨いている間は爪先立ちをする、日記を書く(最近は毎日は書いていないのだが)。そんな一つ一つの習慣が暮らしの骨子となり、その上に築かれるものこそが僕らの生活なのだと思うのだよな。

さて、もう週末ではあるが先週のことを振り返ろうではないか。今週のことは明日明後日あたりで振り返る。

日々のこと、2021年8月28日

日曜日、渋谷文化村の『マンレイと女性たち』へ。近頃は写真への興味が高まってきているのもあってすこぶる感動してしまった。数多くの女性たちと過ごし、彼女らの美しさのありのままを写真や絵に納めた彼のポートレイトはとにかく陰影が素晴らしい。あまり人は撮らない僕だけれども、光の使い方をもっと考えねばと思わせる快作ばかりであった。好きだったのはニュッシュ・ポールエニュアール夫妻、ココ・シャネルのポートレイトの3枚目、サルバドール・ダリの肖像、なんか人がいっぱい書いてある絵(タイトル失念)あたりか。特に彼の描く絵は、人を撮る彼の人体への眼差しが透けて見えるようでとても感銘を受けた。僕も人体の分かり手になりたい。

月曜日、仕事をしながら『ハライチのターン』を聞いていて、ミニストップの名作『Xフライドポテト』について言及されていて興奮してしまった。小学生ながらにミニストップにたむろし、塾までの時間を友人たちと過ごしていたあの頃、親にもらったお小遣いで食べるあのホットメニュー群が大好きだった。ミニストップのホットメニューのクオリティは他のコンビニチェーンと比べても群を抜いていたのだよな(あとam/pm)。ちっちゃいたこ焼き、ザクザクの歯応えの一口サイズのチキン、ハロハロ、そしてXフライドポテト。ポテトをX字型に揚げることでサクサク部分を拡大することに成功したあのポテト。強めに振られた塩も幼い僕には堪らなかった。僕のお小遣いでは毎日ホットメニューを食べることは叶わなくて、半分くらいは数枚の『蒲焼くん』で凌いでいたことが懐かしい。そんな中でも友人の大井君はお小遣いを格別にたくさん貰っていて、毎日何かしらのホットメニューを食べていた。心根の優しい彼は絶対少し分けてくれる。大井君、元気かな。このブログを読んだら連絡ください。

水曜日、久々に近所のイタリアンへ。そこの常連さんで本の装丁デザインの仕事をしている方がいて、僕もよく話し相手になってもらっているのだが、あまり馴染みのない出版業界にどっぷりな彼が語ってくれた話があまりにも面白かった。曰く、図鑑は出版社の屋台骨。曰く、NHKラジオ英会話は今でも20〜30万部を叩き出す超ヒット作。曰く、皆が夢見る壁一面の本棚は、本棚のシンプルな構造故に大きく作れば作るほど高く付くから全くおすすめしない。時折取材も来るという彼の自宅には、6〜7mの高さの天井までびっしりと本棚が備え付けられていて、6000冊もの本が入るのだとか。いくら高く付くと言われてもあれに対する憧れは捨て切れるものではないよな。父親の本棚育ち、小四時の愛読書が宮部みゆきだった僕としては、やはり本棚のない家が想像できない。電子書籍の素晴らしさは十二分に理解しつつも、未だにフィジカルで本を買うのを辞められないのは、未だ見ぬ我が子のためでもあるのだよ。

木曜日、恥ずかしながら28歳の誕生日である。25歳を過ぎた頃から自分の誕生日にさほど興味がない。友人たちが祝ってくれるというので久々に食事。最近ハマっているYoutubeチャンネル『板橋ハウス』の話題に。

僕と同世代の若手芸人3人が暮らす部屋で繰り広げられるおふざけの純度たるや、ど腐れキラキララブコメ好き青春ゾンビの僕には堪らない。作り込まれていない緩さと3人の仲の良さ、そしてエンターテイナーとしての確かな力量。世代が近いこともあって、彼らの笑いのセンスはドンピシャなのだよな。毎回数分で観られるその気軽さも素晴らしい。気が付けば毎日更新される彼らの動画を楽しみにしている僕がいる。いつか彼らの本職のネタが見てみたいものだ。

金曜日、書くべきか否か迷ったのだが、やはり僕が言及しないのはあり得ないのでフジロックの話を。結論から言えば僕は今年もフジロックに行ったし、今年もフジロックは素晴らしかった。良かったアクトを挙げるなら坂本慎太郎、君島大空、青葉市子、羊文学、The Birthday、METAFIVE、奇妙礼太郎あたりだろうか。

坂本慎太郎は3ピースにサックス奏者を引き連れての4人体制。リズム隊のミニマルでストイックな演奏がとにかく素晴らしく、そこにギターとサックスが鳴らされるともう陶酔する他ない。どこかコミカルにも感じられるAメロに対して間奏・後奏のあのゴリゴリの高揚感。多幸、トリップ、サイケデリック。とにかく脳の変なところを片っ端から刺激されてしまったような、そんな素晴らしいライブだった。1時間半は秒。

君島大空は石若駿・西田修大という「最近マジでお前らどこにでもいんな」の二人と、King Gnuのベースを迎えた磐石な4人体制。薄氷のような張り詰めた静寂さと、嵐のように襲いくる轟音が心地よい。元々かなり難解な曲だとは思うのだけど、このメンバーはそれすらも洋々と乗りこなす。彼の曲ってめっちゃメロディアスで一つ一つの音がとにかく美しいのが大好きだ。おそらく今後無数にアレンジの幅が生まれていくのだろうなという、音楽としての”遊び”の部分がすごく感じられて、僕の中ではROTH BART BARON同様、何度でもライブを観たいアーティストに加わった。

青葉市子、昨年の『アダンの風』が良すぎたし、それを裏切らない理想的なロケーションのライブだったな。真昼のヘヴン、ストリングスを引き連れた青葉市子はほぼほぼ妖精みたいなもので、陽光とそよ風の中で最高の音をくれたアーティストだ。『アダンの風』は制作背景からして最高の名盤だし、あの空間がこの東京の街並みと地続きにあるとはとても思えないなぁ。

羊文学はまだまだ粗は目立つものの、すごくいいバンドだなぁと。大学の後輩という若干身内贔屓な部分はあるかもしれないが、マジで歌詞がいいのだよな。ここ最近で本当にグッと良くなった。最近リリースされた『マヨイガ』という曲の1サビ、心の底から今の日本に鳴らされるべき言葉と音楽だと思っています。塩塚モエカという稀代のタレントが感じた世界と放つ言葉。ハッとさせられたり、少し救われたり、温かみのあるとても良いライブだった。

The Birthdayは、実は唯一フジで皆勤賞のバンドだ。ここ9年は彼らが出る度に絶対に観ていて、今年で遂に4度目。なのだけど見るたびに最高が更新されていくのだよなぁ。新譜の曲はあまり演らず、2曲目に『カレンダーガール』、3曲目に『なぜか今日は』という大盤振る舞い。この日の彼らはもうバッチバチで、縦の揃い方といい音の抜けといい、とにかく全てがかっこいい。The Birthdayを観て後悔したこと、今まで一度もないので本当におすすめです。

METAFIVE、今のMETAFIVEを観ることは本当の意味でMETAFIVEを観たことになるのだろうかと、直前まで同じ時間帯のSUMMITと迷ったのだが、結果としては観て良かったな。ああいう音楽体験って久しぶりだったからめちゃくちゃに良かった。LEO今井がかっけえのと、映像・照明まで含めた総合的な演出、デジタル・フィジカルのバランスの取れた肉体的な電子音楽。思っていたよりもだいぶ骨太でマッチョだったのが最高だったな。

奇妙礼太郎はとにかく曲が良い。先日出た『ハミングバード』が素晴らしかったので文句なしの名演。彼にはアコギがよく似合うと思う。一人で、自由に、遊ぶように歌う姿が印象的でした。

KEMURIとサンボマスターが良かったのは最早語るべくもない。彼らのライブが良くなかったことなんて一度もないので。ちなみに僕はパブロフの犬なのでサンボマスター山口の言葉を聞くと涙が溢れるようにできています。彼の言葉は魂に直接届いてしまうので、一曲目の時点でもう泣いてしまっていた。魂に勝手に触れるのやめてほしい。

2年前の台風による朝霧JAMの中止、コロナによる2020年の停滞。そして世論を押し切って開催された今年のフジロック。参加した僕の目線で語らせてもらえば、コロナ禍におけるフェスのあり方として及第点、それどころかB判定は固い出来だったように思う。おそらく今年開催できなかったらSmashは本当に厳しかっただろう。それが開催して良い理由にはならないけれども、少なくとも他のフェスをやるよりも絶対に良い。国内最大フェスとしての矜持と責任、フジロックに集まる特殊なユーザー層の民度と問題意識。欠かすことのできないこの両者がしっかりと協力できていた。

客入れを例年の二割程にまで抑え、マスク着用の徹底、ステージ前方の客の間隔保持、酒もタバコもストイックに制限し、観客もそれをかなり厳密に守っていたように思う。演奏中も歓声は一切上がらず、前方でも肌が触れ合うようなことはほとんどない。マスクをしないで歩き回るような輩も見かけなかったし、大声をあげて話す者ですらほとんどいなかったに等しい。僕はワクチンは2回目の摂取から2週間以上経っていたし、直前の抗原検査もクリア。期間中会話をしたのは一緒に行った友人たち数人だけだし、会場内あちこちに置かれているハンドソープとアルコールは毎年設置して欲しいくらいに使わせていただいた。

ただ、どれだけ対策をしても感染をゼロに抑えることは絶対に不可能だし、あの空間にもルールを守らない阿呆はいる。僕らは車だったが、新幹線で来ていた人たちがその道中でどれほど徹底した感染対策を行なっていたのかはわからない。僕らはキャンピングカーだったが、宿に泊まった人たちが苗場に感染を引き起こさないとは限らない。それでも、少なくとも東京で普通に過ごすよりも、苗場にいた方が感染のリスクは低いだろうとすら思う。会社の存続と社会的責任。地方経済と命の危機。ギリギリの生活と模範囚。沢山の天秤が掲げる方を決めあぐねた中で開催された今年のフジロック。その善悪の判断は僕にはつかないが、ひとまず今年もすごく楽しませていただきました。スタッフとアーティストと苗場の皆さんに感謝を。

恐らく感染爆発は起こり得ないのではないかと思うけれども、それはフジロックに参加した個々人がその後の日常をどう過ごすかにかかっている。2週間自粛しろとは言わないが、恥じない行動をとって欲しいと思う。

タイトルとURLをコピーしました