文章主体のWEB記事を読んでいると、どんなに面白い内容だろうと、どこかで集中力が途切れる瞬間がある。没入していた意識が突然フワッとその場を離れ、これまでスルスルと頭に入ってきた情報がまとまりを失っていく。そしてそういう時にそこまでの字数をカウントしてみると、大抵1500〜1700文字でその瞬間が訪れていることがわかる。
僕はその辺りをWEBにおける人間の没入の限界だと思っていて、だからこそ僕の軽いレビューや日記は1500字に収めるようにしている。ものの数分で、スッと一息で読み切って欲しいからだ。
日々のこと、2020年8月13日。文章量と天声人語と編集手帳。
僕は普段からWEB記事をたくさん読むし、活字も割と読む。そんな僕でもこの有様なのだから、そうではない人は一体どれだけの文章を集中して読むことができるのだろうか。ネットで調べてみると「人間は8秒しか集中できない」だの「人間の集中力は金魚以下」だの言われていて辟易してしまった。
普通のブログやWEB記事では、適切に配置された画像や強調された文字達が僕らの意識を繋ぎ止めていて、人間の集中力の儚さにできる限りの抵抗を試みている。そういう意味ではWEB記事も、tiktokも、前奏が短くなった音楽も、Youtubeで流行する動画のフォーマットも、全て現代人に最適化されたコンテンツなのだよな。
であれば僕も、時代に合わせた読みやすい記事を書けば良いのだけれど、厄介なのは僕が読み物として“読める“文章を指向しているという点で、現代人が消化しやすいファストな文章を、わかりやすく届けるようなことがしたいわけではないのだ。あくまで読み物としての強度を保った文章を、届く人に届けたい。あわよくばそれが読める人の分母を増やしたいとすら思っている。
そこで一つ思い当たったのが、朝日新聞の「天声人語」や読売新聞の「編集手帳」だ。
改行を「◆」「▼」といった記号で行い、限られたスペースと文字数で纏められたあの文章の美しさ。マスメディアならではの万人に開かれたポップネス。そして何よりグッと引き込まれるコンテンツとしての面白さ。時折Twitterなどで抜粋されたものを見かけるが、芸術的な美しさと面白さには思わず膝を打つし、どこか満たされた読後感すらある。
調べてみると、現代の天声人語の字数は603字、編集手帳は458字。時代によって変遷はあったようだが、きっと大手新聞社のことだし、時代によって最適な文量をチョイスしているのだと思いたい。そう考えるとなるほど、人間が無理なく読める文章量って、実は500〜600字なのかもしれない。
とはいえ天声人語や編集手帳が素晴らしいのは、その文章のスリムさでもある。文章のプロが推敲に推敲を重ね、極限まで洗練された美しい言葉のまとまりこそがあのコラムであり、それってきっと模倣しようとしても一朝一夕にできることじゃあないのだよな。
活字とWEBの違いもあるだろうし、僕などは余計な文章にこそ人間味を感じるような感性をしているので、どうにも600字で何かを書こうとするのは難しい。そうこう言っているうちにこの文章も1300字に達そうとしている。どうだろう、一息で読み切れるような文章だっただろうか。