cero『街の報せ』を聴くだけで、いつもの街並みが姿を変える。
シャッターの降りた店、回送のタクシー、ドアの開いたままの電話ボックス。自然と僕の頭に浮かぶのは夜の風景だが、この曲を聴いて思い浮かぶ景色は人それぞれなんだろう。そして一度浮かんだ風景は心にしっかりと刻まれて、自分の特別な景色となる。
嗚呼、ポップス。これぞ至極のポップスである。
言ってしまおう、「ポップスってこうだろう?」
cero『街の報せ』
僕がシビれるのはこの曲の美しさ。
ファミレスで聴くロイ・ハーグローブ
国道沿いで買う缶コーヒー
この曲を聴いて、一体何人の若者がファミレスでロイ・ハーグローブを聴いたことだろう。かくいう僕もその一人だ。
夏に映画館出た時
終電が終わった駅前
波も涙もあたたかい
忘れていたのはこんなこと?
「波も涙もあたたかい」なんて歌詞、どう頭をひねれば出てくるのだろう。日本語としての新しい響きと古くからの美しさが共存していて、聞くたび胸がいっぱいになる。
『Obscure Ride』ではネオソウル・ファンクを下地に黒人音楽と現代都市のポップスをミックスさせた。
『POLY LIFE MULTI SOUL』ではアフロビートと民族音楽をダンサブルなポップスに昇華させた。
テン年代に燦然と輝く名盤と名高いこの2枚。『街の報せ』はその2枚の間にドロップされたシングル。サウンド的にはネオソウル寄りでゆらぎのあるリズムが特徴的ではあるものの、実に王道ポップス然としたこの存在感は、この時期のceroの音楽としては若干異色だ。
都市と暮らし。オザケンを始めとした国内アーティストがこぞって表現する大きな主題ではあるが、ceroが描く街並みは実に身近で、なのに新鮮で、都市的で、そして美しい。夜の東京のクールで煌びやかな佇まい。首都高から見下ろす東京の街並みと対向車の眠そうな運転手。そんな見慣れた景色が次々と心に浮かんでは去っていく。
そしてceroの愛は「街」の姿だけに止まらない。
みんなも歳をとり いつかはいなくなるけど
また誰かがやって来て
音楽をかけてくれそう 何度も
曲中で僕が最も心震える歌詞。聴く度に少しだけ泣きそうになる。人々の暮らしや関係性、ceroはそういったものを「街」であると位置付け、そうして「街」を形作ったものはそこに留まることができる。時間の流れや、移り変わりを超えて残る人々の営み。賛美的、人間賛歌的な雰囲気すらたたえたこの曲。極上のメロディと共に歌われるこの歌は、都市と人、ひいては世界への愛に満ち満ちていて、あまりにも美しい。
もう一度言わせてもらおう、「ポップスってこうだろう?」
『街の報せ』が気に入ったら
この曲を聴いて気に入ってくれたなら、少し難しいけれども新譜『POLY LIFE MULTI SOUL』も是非聴いてみてほしい。難解かもしれないけれども、それで突き放すようなことせず、何度も何度も、時間をかけて聴き込むことで、ceroは僕らに新しい音楽を聴かせてくれるから。
記事:cero『POLY LIFE MULTI SOUL』は、僕らに新しい音楽を聴く楽しさを教えてくれる
そして現代において、ceroと最も共鳴していると言っても過言ではないオザケンのシングルに関しても言及しない訳にはいくまい。都市と暮らし。『流動体について』『フクロウの声が聞こえる』の両シングルでも歌われたその主題が、極めて私的な体験として歌われるこの『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』もまた、現代のポップスとしては極上の一曲だ。
記事:小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』に寄せて
あとはなんと言ってもこの極上のグルーヴと心地良さはbonobosだ。泳ぐような音楽、僕はこれを「フィジカルの音楽」と表現しているのだけれども、bonobosの音楽の心地良さはceroに勝るとも劣らない。
記事しばらく聴かない内にbonobosが極上で最高になっている件