『逃げるは恥だが役に立つ』を見て

いいドラマ

「そうじゃない、そうじゃないんだ平匡!」

幾度となくそう叫びたくなったものだが、彼がプロの独身として過ごしてきた35余年を思えば、効率や合理性を重視するあまり人間性の大きく欠落した行動にも頷けるというものである。

この年末年始の再放送で僕の2018年初胸キュンを軽々と奪っていった『逃げるは恥だが役に立つ』の感想をつらつら。

感想

本来であれば2〜3話ずつに区切って感想等述べたいところだが今回は2日で一気に見終わってしまっているのでざっくりと。

この作品、事実婚という実に21世紀らしい愛の形をテーマにしているものの、影の主題は年齢、性別、結婚観等、様々な恋愛の呪いにかけられた登場人物たちの物語である。

テーマとしては割と社会派だし、重たい回であっても、みくり(新垣結衣)の強かな妄想がもたらすコミカルなパロディシーンのおかげで軽やかに進んでいく。そして何より新垣結衣・石田ゆり子が写っている画の華やかさったらとんでもない。ドラマ全体のムードも明るく、キュンキュンしながらサクッと見られたのが素晴らしい。

さて、主人公であるみくりと平匡(星野源)の関係を見てみると、ナヨナヨ系男子と小賢しい系女子という、僕の描く理想の渋谷系カップル像にほど近いものがあるのだが、事はそう簡単ではない。何せ35年もの間、異性との交流がなかったプロの独身である。

その話、長くなりますか?

みくりが違う男の話をすれば不機嫌になるし、

詮索も、分析もやめてください

他人の干渉をとことん嫌う姿勢には最早納得だ。

そんな二人の距離を詰めるべく繰り出されるみくりの妙手の数々。恋人の提案、ハグの日の制定、朝食に焼いた鱚を出すなどなど。それぞれが彼女の小賢しさを存分に活かした必殺の一撃であり、僕はガッキーのずるさ可愛さに完全にノックアウトなのである。

そしてもう一点この作品を素敵たらしめているものが平匡の可愛さであろう。

稀代のマルチタレント星野源演じるプロの独身男性は見事の一言で、その不器用さ、機械っぽさ、童貞感を表現する上で星野源以上の助平はいないのではないでしょうか。

人の心に無関心だった彼がみくりの愛に触れながら成長していく。自分の中の恋心を必死に押しとどめようとする平匡。他の男に嫉妬する平匡。自分からハグをするようになる平匡。キスのタイミングをググる平匡。これまでの人生で得たことのない感情が平匡の心を豊かにしていく。次第に溶けていく平匡の凍った心。その姿に僕らは心打たれるのである。

醜いと秘めた思いは色づき

白鳥は運ぶわ 当たり前を変えながら

この歌詞なんてまんま平匡ではないか。

そして最終話では、自分がじっくりと時間をかけて崩してきた平匡の心の壁と同じものを自らに築いてしまうみくり。

やめるなら、今です

意固地になって心にもないこんな言葉まで発してしまう。そして自らに「小賢しい女」という呪いをかけ続けたみくりの、その呪いを解き放ったのは他でもない平匡である。

社会に求められなかったみくりと、異性に求められなかった平匡。不揃いな二人がお互いを補い合う。言葉にするとありふれたチープな言葉ではあるが、そんな二人が選んだのは「共同経営責任者」という夫婦の形。二人で一つの円になるのではなく、一つの円の中に二つの円。契約結婚という特殊な形式を取った二人の恋、その結末はやはり21世紀という多様性の時代に即した少し変わったものなのである。

さて、この作品の主題を象徴するのは、やはり最終話のゆりちゃん(石田ゆり子)のこのセリフであろう。

自分に呪いをかけないで

そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい

『逃げるは恥だが役に立つ』というタイトルもまんま象徴していて、いいパンチラインである。LGBT、結婚観、年齢、異性経験、失敗体験。作中に現れる様々な呪いを全て解消して終わるこの作品。一人では解けない呪いも、二人なら解ける。二人で二人を超えて、一人も超えていく。

ライトな見応えの中に確かなストーリーとメッセージ。演出や衣装のレベルも非常に高く、何より演者がすべからく良い。2016年に逃げ恥旋風が巻き起こったのも納得の完成度でした。

 

おわりに

個人的なベスト胸キュンは10話。新垣結衣のバックハグの破壊力たるや。

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