東村アキコ『かくかくしかじか』が教えてくれた、クリティビティについて

いい漫画

ブログを書くようになって、この記事で大体60記事目。分かってきた事は沢山あるのだが、一番重要な気付きは「自分が文章が下手」だって事である。最初の頃の記事なんて文体はめちゃくちゃだし、長い割に言いたい事は伝わりづらいし、そもそも全然面白くない。それと比べたら最近は割と読めるレベルにはなっているとは思うのだが、半年近く文章を書き続けてようやく、自らの文才の無さを自覚する事ができたのである。

言いたい事が上手く言えずに書いては消し書いては消し、推敲に推敲を重ねて一度完成を見た文章を翌日改めて読み返すとこれがまた全然面白くない。なんとか食らいついて人様に見せられるレベルになるまで書き直す事もあるし、諦めてそのまま公開したり、場合によっちゃ下書きを丸々消すこともある。そんな事をしていると、自分の向かってる方向が正しいのかが分からなくなる。

そんなクリエイター職に就くような人間には絶対と言っていいほどついて回る、苦悩だったり閉塞感みたいなものを、真っ向から描いてくれたのが東村アキコの『かくかくしかじか』

東村アキコといえば『東京タラレバ娘』や『海月姫』『主に泣いてます』など、独特のタッチとギャグ描写に定評のある少女漫画家である。この『かくかくしかじか』は彼女のエッセイであり、恩師である日高先生との思い出を描いた作品。2015年の漫画大賞の受賞作であり、他にもいくつかの賞を受賞している大傑作。

どうやって「美大に合格したか」、「漫画家になれたか」と、東村は、よく若い子に聞かれるが、絵を描くということは、ただ手を動かし「描くこと」、「どれだけ手を動かしたか」が全てだ。

日高教室で同じものを何回も何十回も強制的に描かされた。それがよかったと思う。楽しくだけでない押しつけるような、きつい先生に出会うこともだいじだ。

大学で描けなくなったのは、「何を描くか」、「自分の描きたいものは」と考えたからだ。根気のない子や頑張れない子、逃げで描く子は無理だ。絵を描くことに生活で一番集中してないと。しかし、口で言うと偉そうだし、若い子には伝わらないので漫画で表そうとした。

若い子は、ある日何か降りてきて、いつかすっと描けるようになると思っている。それは違って、しんどいが想念の海の中から無理やり、何か掴んで引きずり降ろすしかない。

Wikipediaからの引用で恐縮だが、この作品のテーマについて作者本人が語った言葉であり、他のどんな言葉よりも圧倒的な真実なので引用させていただく。とどのつまりこの作品の根底にあるのは「描きたいんだったら描くしかない」という元も子もない事実であり、誰もが知らないようで実は知っている現実なのだ。良い文章が書きたいのなら、駄文だろうがなんだろうが書き続ける事。持たざる者である僕らに残された唯一の道は、つまるところ幾万にも及ぶ反復練習である。

こういうクリエイターの何たるかを教わった作品はいくつかある。鈴木清剛『ロックンロールミシン』からは「変わる時は劇的に」という座右の銘を得たし、うめ『大東京トイボックス』からは「クリエイターとは妥協無き仕様変更である」事を教わった。どちらも今の僕に多大な影響を残した大好きな作品である。

幸いな事に、どうやら僕は文章を書くのは好きらしく、ブログみたいにテーマも字数も自由に文章が書ける環境を楽しめている。納得のいく文章をひねり出すのはアホみたいに難しいし、面白いと思えるような文章なんていつ書けるようになるのかわかったもんではないが、段々アクセスが増えてきているのも嬉しいし、ブログを書くモチベーションはしばらくは続きそう。

雑巾を絞って、絞って絞って、もう無理だろってとこから更にもう一滴絞り出すみたいな。文章を書くって多分そういう作業だと思ってるんですが、もしその辛さとか途方の無さに心が折れても、『かくかくしかじか』を読めばもっかい頑張れるんだろうなと、そういう作品でした。最高。

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