子どもたちのための漫画。赤瀬由里子『サザンと彗星の少女』は絶対にフィジカルで読んで欲しい。

いい漫画

フランスにおいて芸術というのは9つの姿を持っていて、建築・彫刻・絵画・音楽・文学(詩)・演劇・映画・メディア芸術、そして「漫画」なのだそうだ。正確にはフランスの漫画「バンド・デシネ」を指すのだけれども、漫画というカルチャーがある一定の評価を獲得していることには変わりはない。

以前、少しピザラジオの方でも話したのだけれども、フランスの漫画と日本の漫画は大きく違う。日本の漫画がご存知の通り白黒で、一冊数百円から手に入るのに対し、フランスの漫画は1ページ1ページを緻密に書き上げ、フルカラーの作品も少なくない。さらにはその美しさを際立たせるための特殊な印刷技法の作品もあり、日本でそれを買おうとすれば一冊数千円〜数万円もする。その一番の差異は「連載」というシステムによって生まれるのだけれども、今回の本題ではないので割愛する。

さて、今僕の手元には、『サザンと彗星の少女』という作品がある。上下巻・全500ページフルカラー。それも全ページ水彩画のアナログ作画。国内では極めて珍しい手法で描かれたこの作品を見付けた時、久々に「これは本棚に飾るべき作品だ」という確信に近い予感があった。

作者の赤瀬由里子が「子どもたちのために描く!」と意気込んで作り上げたこの作品は、80年代タッチの絵とサイケな色彩、そして宇宙を舞台にした超王道のボーイ・ミーツ・ガールものという、正に子ども向けの絵本のような作品である。

ポップで愛らしいキャラクター、迫り来る危険とそれを乗り越える仲間たち。1人の少女のための冒険が、いつの間にか世界の命運を握る戦いに発展する、ある種セカイ系的な要素もあり、その美しい作画と幼さすら感じるストーリーにドキドキしながらページをめくる感触は、思わず小学生の頃に図書館に通って読み耽った『かいけつゾロリ』シリーズを思い出したものだ。

この作品には、少年文学としての圧倒的な「正しさ」がある。

キャラは死なない、恋は芽吹く、そして実る、正義が勝つ、悪は滅ぶ、けれども本当の悪は存在しない。そんな少年漫画の上澄みを掬い取り、どこまでも純然に子どもたち、ひいては子どもだった大人たちのために作られたのが、この『サザンと彗星の少女』という作品なのだ。

だからなのか、読んでいて胸が苦しくなる。グッと込み上げてくるものがある。それはきっとストーリーもそうだけれども、作者の渾身の想いが詰まった作画による部分が大きい。読者に想いを伝えるだけのパワーがある絵だ。

プレゼントとして贈られることも多い「バンド・デシネ」、そしてそれに近い着想で描かれた『サザンと彗星の少女』。実は最終話以外はネットで読むこともできるのだけれども、実際に手にとって読んだ僕からすれば、発色も絵自体が持つパワーも全く及ばない。電子書籍全盛のこの時代だけれども、こんなにもフィジカルで読むことに意義がある作品も珍しい。むしろ、紙の本で読まなければ意味がない作品だとすら思う。

参考リンク:サザンと彗星の少女|第1話

最後に、この作品の担当編集の方が書かれた文章の一部を引用したい。商業誌での連載スタイルが定着した日本でも、こういう本棚に納めたくなるような作品がもっと出てきても良い。そして、商業誌側にもこういう人がいてくれる限り、紙の本は死なないと思うのだ。

『サザンと彗星の少女』は、何というか、利益を最優先に考える版元の私たちにさえ「買う買わないはひとまず置いておいて、とにかく一人でも沢山の人に読んでもらいたい」と思わせる、なにか前向きなオーラをまとった作品です。しかし商業出版ですから利益を追求しないのは嘘で、当然ここには矛盾が生じるのですが、「絶対にモノクロにはしない(オールカラーで出す!)、頑張れば子どもたちでも買える定価にする! しかし利益も出す!」というギリギリの落としどころを探って製作部や営業部とともに知恵を絞りました。その結果の上下巻全500ページ・オールカラー・各980円+税です。

参考記事:「サザンと彗星の少女」刊行によせて

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