石塚真一『BLUE GIANT』における雪祈に関する考察

漫画家にとって、自分の作品の登場人物とはどのようなものかを考えてみる。事この『BLUE GIANT』という作品において、作者から見た宮本大、雪祈、玉田はどんな存在なのか。

最終巻である10巻を読み終えて、その事を考えずにはいられなかったです。

 

ネタバレがありますので、気になる人は読まないように。








感想

分かりきった事ではあるが『BLUE GIANT』は紛う事なき傑作である。

音楽をやってる人にはこれ以上響く漫画もないだろうし、そうじゃなくてもこの漫画の圧倒的な熱量と密度には誰でも心揺さぶられるだろう。とにかくJASSの3人がアツすぎる。東京に行く大がスーパーで家族にサックスを聞かせるシーンはこの漫画で一番好きなシーンだし、玉田が自分の時間の全てを費やしてドラムに専念する姿には共感MAX、初めて大のサックスを聞いた雪祈がひっそりと泣くシーンなんてもう号泣ものである。

とにかく泣きたかったらこの漫画を読めば最低でも1回は泣ける事間違いなしの大傑作である。

さて、冒頭の話題に戻るが、作者の石塚先生がこの3人を描く気持ちに思いを馳せてみる。

彼らの関係はそんじょそこらの漫画家と登場人物のそれとは比べ物にならないはずである。ただでさえ登場人物が少ないこの作品で、10巻という短い時間に、3人のドラマを、これでもかという密度に凝縮させているのである。その気持ちは絶対に僕らのような読者には推し量る事はできないが、親子愛とも友情とも違う種類のとんでもない質量の愛情である事は想像に難くない。

そうなった時、考えるのは誰もが衝撃を受けた10巻のあのシーンである。

途方も無い愛情を注ぎ、圧倒的なセンスと才覚を与えながらも、挫折を経験させ、苦悩させ、それでも歩むことをやめさせなかった。その人生の全てをJAZZという音楽につぎ込むように描いてきた『雪祈』というキャラクター。そんな雪祈が事故に遭い、右腕を失いかけるあのシーンを、作者はどんな気持ちで描くのだろうか。

自分で生み出し、愛したキャラクターを、物語の最後の最後に、自分の手で死ぬよりも辛い目に遭わせるという。想像しただけでも胸が苦しくなる程の苦行、僕が作者だったらあんなシーンは作れない。そして、あのシーンをあそこまでハッキリ描ききるような漫画があっただろうか。誰がどう見たって雪祈の右手はズタボロで、僕ら読者でさえ目を背けたくなるあのシーンを逃げずに、真っ向から細部まで描ききる。

もうこれ、アツすぎではないでしょうか?

作者の気持ちにここまで感動したの初めてです。

あの残酷とも言えるシーンが宮本大の物語の第一部である日本編を、10巻という長さで一度完結させる上で必要なシーンである事に疑いようはなく、作者の作品にかける熱量の凄まじさが嫌が応にも伝わってくる第10巻。これまでも絶え間ない感動の波状攻撃であったにもかかわらず、最終巻はこれまでをはるかに上回る怒涛の展開。感動の津波。熱量のオーバーフローである。井の頭線で食い入るように読んでいた僕の目の頭線(目頭)はひたすらに熱かった。

おわりに

『めだかボックス』で安心院さんが10巻以上続く漫画は惰性と断言していたが、たしかに10巻で完結する漫画には名作が多い。『武装錬金』・『惑星のさみだれ』・『シュガシュガルーン』・『大東京トイボックス』・『寄生獣』。『四月は君の嘘』と『悪の華』は11巻完結と若干オーバーだが最高だし、10巻という長さは漫画を面白くするのにベストな長さなのかもしれない。

兎にも角にも、『BLUE GIANT』の日本編は10巻で完結。続編の『SUPREME』はまたこれから続くのでそちらが楽しみです。

『BLUE GIANT』が連載してる時代に生まれてよかったとすら思える大傑作。読んでない方はぜひ。

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