日々のこと、2021年10月6日

日々のこと

キングオブコント、空気階段の一本目のネタに、ぶん殴られたような衝撃を受けたまま、今も頭の芯にぼんやりと熱が残ったままだ。空気階段というコンビの武器を余すことなく全て使い切ったようなあのコント。もう二人の肉体からして完璧に仕上がっている。公務員としての責任とドMとしてのプライド、そして二人の男の情熱と友情。全ての展開が劇的で、張り詰めるような緊張感があって、馬鹿馬鹿しい感動があって、あまりの純度と密度に思わずクラクラしてしまった。

世のはみ出し者として、コント一本で戦ってきた空気階段。「生まれてきた意味がありますね」というかたまりの言葉にはグッときたし、くしゃくしゃに泣くかたまりの横で堂々とトロフィーを受け取るもぐらの逞しさよ。もう爆発的に売れてほしい。

空気階段以外では男性ブランコと蛙亭が愛についてのコントだったのがすごく良かったな。特に男性ブランコの一本目。序盤の時点で「この後の展開が彼女への落胆だとしたらこいつらは大っ嫌い、そうじゃなかったら大好き」と決めていたので、二人の恋が実って本当に嬉しくなってしまった。二本目も抜群だったしな。マヂラブも良かった。野田クリスタルの演技のクオリティに脱帽。語り始めるとキリがないが、決勝のメンバーも審査員のメンツも素晴らしい大会でした。

さて、二週間分の日々のことです。

日々のこと、2021年10月6日

毎年、夏の終わりにラフティングに行っている。多摩川の上流、御岳というエリアから川に入り、1時間ほどかけて川を下っていく。多摩川と言えど上流の水は驚くほど澄んでいて、小田急線で登戸-和泉多摩川間で臨むものと同じ川だとは俄かに信じがたい。この時期の水温は15度前後、ウェットスーツを着ていれば心地よいと言って差し支えない冷たさで、日差しの暖かさと川の冷たさを感じながら過ごす時間を、毎年楽しみにしているのだ。今年も無事納涼。ありがとうございました。

そのラフティングの施設の2階にはBBQ場が併設されていて、その日はパエリアを作っている方がいた。彼は週末のパエリア日本大会に向けて調整中らしく、ちょうど出来上がったパエリアをいただいたのだが、これが衝撃的に美味しい。パエリア発祥の地・バレンシアでは、具に魚介類ではなく兎肉を使うらしく、いただいたパエリアは兎肉とインゲンを使った正に原種に近いものだった。普段はBBQ屋を経営している彼は、旅行先で出会ったこのパエリアに魅了され、趣味で腕を磨き続けているらしい。仮に優勝したらどうするのかと尋ねると、「別にお店で出したりしないですよ、趣味なので」と言っていて、他の出場者からすればいい迷惑だなと思った。

秋になったので聴く音楽がガラッと変わった。空気公団、浮、ハンバートハンバート、冬にわかれて。秋はフォークだ。今日リリースされた折坂悠太『心理』はやはり良い。先日行われた先行視聴配信イベントでも聴いたが、アルバムの素晴らしさ以上に取り組みの美しさに惚れ惚れ。

フジロックも直前で出演キャンセルを決めた折坂。マヒトゥの連載コラムにも書かれていたこの一文が忘れられない。

同じ日に出演する盟友、折坂悠太から「マヒト君はどう考えている?」といった内容のメールで目を覚ます朝。つくづくしれっと逃げさせてくれないなと思いながら、胸の不安感に聴診器を当てる。

第14回 フジロック2021

強かに現況と向き合い、心を痛めながら下した決断には、彼の逡巡がありありと見て取れる。そんな彼が新譜のリリースに先駆けて開催したのが前述の視聴イベントだ。迷いとか揺らぎとか、そういったものを包み隠さずに表現を放つ折坂の真摯さには憧れてしまう。アルバムを皆で視聴するという体験は新鮮で、情報量の少なさからか配信ライブのそれよりも社会との接続を強く感じられた。アルバム自体も当然のように素晴らしい。しなやかな歌声と円熟味を増したバンド体制。『トーチ』や『ユンスル』のようなシンプルな楽曲から、『心』『春』のようにプリミティブさや実験性を感じさせてくれる楽曲の幅広さ。その多層的な連なりを、重奏メンバーが丸っと包括して、心地よい手触りを残している。実験的なのにどこか穏やかに聴けるってだけですごいことだ。視聴配信ではVIDEOTAPEMUSICの素晴らしい映像と共に楽しめたのが嬉しいと思ったら、Youtubeにフルで上がっているではないか。皆様も是非。

恐らく話題の彼のことだ、種々のメディアが色々なことを語るのだろうけど、折坂自身の言葉以外の文章を読む必要が無いと、僕は『平成』の頃から思っている。それくらい彼の言葉はスマートで、率直で、真摯だ。

9/22には渋谷公会堂でeastern youthのライブ。これまで観たライブの中で一番音がデカかった。ギターがデカすぎてドラムが聴こえないライブなんて初めてだ。詳しくは別記事にしたためたので是非。

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相変わらずラジオも聴いている。好きだったのはマヂラブ村上が居酒屋メニューの値段を当てる回と若林が春日の娘をTiktokerに仕立て上げる回。前者はマヂラブというコンビの長かった冬を象徴するエピソードのような気がして、後者は前週までの活躍っぷりが嘘みたいな「オードリー」としての若様の弾け方が好きだ。春日がトークでも平場でも精彩を欠いていたのもオードリーらしい。あと先週のハライチ澤部のトーク、平野レミの話が爆発的に面白かったのを覚えている。たまたまリアタイでその番組を見ていたのも良かったのかもしれないな。

今週の『空気階段の踊り場』は流石にリアタイ。オープニングのニクい演出も、連呼される「サイコゥサイコゥサイコゥ!!」も、峯田の生演奏も、突然のエザキさんも。とにかく全部が良かったよな。終始幸せな気持ちで聴いていた。お笑いは昔から大好きだが、空気階段ほど応援させてくれるコンビもいない。負け続け、挑み続け、持たざる者として、常にそこに眼差しを向け続けた彼らだからこそここまで応援したいと思えるのだよな。あともぐらのクズっぷりには嫌味がない。愛すべきクズを体現している。ラランド西田とは違うんだぜ。

ニューヨークのニューラジオの配信もリアタイで観ていたが、やはりKOCが堪えているようで、観ていたこっちまで辛くなってしまった。去年あたりからかなり売れ出しただろうし、コントもM-1もトークもそつなくこなすのだが、ネタのチョイスだけがどうにも上手くないのだよな。特にKOC。二本目にやろうとしてた「女上司」も観たが、このチョイスがこれまたあまりにもギャンブラーで、またニューヨークのことが好きになってしまった。

先日突然祖父から分厚い封筒が届いた。中身は丸谷才一『文章読本』と手紙。祖父からの文庫本という、宝物の気配がぷんぷんするアイテムにワクワクしながらちまちまと読み進めてきた。文章の書き方に関する本は何冊か読んできたけれども、中でも一、二を争う名著だ。刊行は1977年。種々の名文を引用しながら、「良い文章」の書き方について論ずるこの本。名文を読め、古い言葉を選べ、論理的であれ。言っていることは実にシンプルなのだけれども、都度適切に引用された名文が学びを深めてくれる。時代が変われば文章も変わる。令和に書かれる文章にとって、全てが全て正解かと問われればそれは怪しいが、少なくとも僕の考える美しい文章と丸谷のそれとは近しいように思えた。恥ずかしながら丸谷の著作はいずれも未読なので、折を見て読もうと決めた。

実は『文章読本』と題された本はこれ一冊だけでなく、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成らによっても書かれていて、それ以外にも無数のハウツー本が存在する中、共通するのはやはり「良い文章に触れろ」ということなのだよな。僕の目指す文章は重心の低い、けれどもリズミカルな文章なので、早く師と仰ぐ文章を見つけたいものだ。

INA『つつがない生活』を読了。緩やかな筆致で描かれる20代夫婦の暮らし。生活の隙間隙間、いずれ記憶の奥底に消えてしまうささやかだけど美しい瞬間を切り取ったような漫画は、読んでいて胸がいっぱいになってしまう。決して派手でなくても、煌びやかでなくても、毎日が幸せではなくても、僕らの生活は美しい。最近僕はこういう作品を勝手にシティポップの引き出しに入れている。世の「シティポップとは何ぞや論争」に微塵も興味がなくなってしまって、思い思いのシティポップがそれぞれの心の中にあれば良いんじゃない?という思想が芽生えたからだ。「渋谷系とは何ぞや論争」も同様です。僕にとっての渋谷系はナヨナヨ男子とつよつよ女子のボーイミーツガールなので。

ガラッと話は変わるが、先日初めて裁判傍聴に行ってきた。観たかった裁判があった訳でもなく、ただただ「裁判」というものに興味があったのだ。裁判傍聴自体は、余程大きな事件でなければ誰でもいつでもできる。途中入室も退室も自由で、無数に開かれる裁判の内、興味のあるものを傍聴しに行く。なんだかフェスみたいだと、場違いなことを思ったりもした。

裁判所の、究極にまで装飾性が排除された部屋は緊迫感がとんでもない。また、実際に裁判が行われる法廷と傍聴席の間には、低い柵があるばかりで、被告人とも簡単に目が合ってしまう。そのことが更に空気を重たく感じさせるのだ。僕が傍聴したのは窃盗の常習犯、覚醒剤、強盗致傷の三件。中でも窃盗常習犯の裁判は聞いていて辛かったな。60代の路上生活者の被告人が、生活費欲しさに路上で酩酊する者から財布を盗んだという。それが何度目かの逮捕歴で、求刑は禁錮3年。実際の判決はまだわからないが、彼の寿命があと3年で尽きるようには思えない。元は土木業に従事していたという彼が、その骨張った身体で再び仕事に戻る姿は想像できなくて、身寄りも仕事もなく、そこから上がるための梯子が見当たらないようなその状況と思うと胸が苦しくなる。

社会に思いを馳せてガバガバになった感性で『とんかつ 太志』へ。泣くほどウマい。欠落した俺の感性に響くぜ。とんかつはロース。これは僕の座右の銘に加えても良いかもしれないくらい常日頃から思っていることで、ヒレカツにとんかつの喜びは無い。サクッと歯の通る肉と、ジュワッと広がる脂の柔らかさと甘味。とんかつは脂を食べるものなので、あのジュワッが無いヒレカツを僕はあまり好まない。一口ヒレカツは別です。いつだってロース定食に一口ヒレカツを追加できるくらいの裕福さが欲しい。

余談ですが僕がよく行く店の常連さんにとんかつフリークがいて、写真を送ると何処のとんかつかを当ててくれます。太志の写真を送ったところ「この味噌汁と漬物は、、、太志?」って言ってくれて大好きになりました。一芸の尊さよ。

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