1ヶ月程前からだろうか、気圧の影響を受けるようになってきた。これが自覚の始まりなのか、症状の始まりなのかは自分でも定かではないのだが、とにかくかつての自分に戻りたくて仕方がない。妙に頭が重たくて、ぼんやりとした眠気に覆われている時に『頭痛ーる』を見ると、全ての答えがそこにある。一度横になると2時間近く寝てしまうし、朝起きれない日は大体低気圧が悪さをしている。もしこれまでの僕がこの重篤な症状に無自覚なまま日々を過ごしてきたのであれば、その鈍重さには呆れつつも、ブルドーザーみたいな豪快さは羨ましく思うな。
およそ2ヶ月ぶりの日記更新。皆に話したいことがあったのでね。
日々のこと、2020年7月13日。気圧と天気と解像度。
先日、天気のことを仕事にしている友人と話す機会があって、その面白さを強く感じた。
今年の梅雨などは、東京ではジメジメと不安定な天気が続いているばかりで、大量の雨が降っているという印象は薄い。ところが九州や中部ではとんでもない量の雨が降っていて、未曾有の大災害だとも言われている。もう少し世界を見れば、コロナの影でサバクトビバッタが大量発生していて、世界の食糧危機だというから恐ろしい。
思えば僕の知っている天気や気候って、僕自身が肌で感じたものでしかない。そういう意味では、僕は実際に1年以上暮らしたことのある、東京・横浜・ニューヨーク・モスクワくらいの天気についてしか知らないのだよな。
例えばモスクワ。冬の気温はマイナス25℃と聞いても驚く人は少ないだろうけど、夏の気温は35℃を超える日もあることを知っている人は少なかろう。これがニュースで「モスクワで猛暑日」なんて報道がされたなら、人々は異常気象だと感じるのかもしれない。
東京の夏は湿気がとんでもない、神奈川方面に多摩川を超えると一気に気温が下がる、苗場の天気は変わりやすい、マンハッタンはビル風が強いから気温以上に体感温度が低い、冬のモスクワは本当に晴れない etc…それは確かに僕らの中では当たり前でも、そうでない人にとっては驚くべき現象だとするならば、僕らは天気予報や世界のニュースに過剰に振り回されている気もするし、それ以上に美しく奇跡のような天気の数々を見逃しているかもしれないとも思ったのだ。
去年、富士山に登った。下山が人生でもトップレベルの劣悪な体験だったこともあり、二度と登るまいと心に決めているのだけれども、山頂からの景色はいまだによく覚えている。
どうですか、天気の子みたいでしょ?(心の中の粗品「さいてーい!表現者としてれいてーん!」)
これには流石の僕も心を打たれ、なるほど山に登る人はこの景色を見たくて登るのかと納得したものだ。
そして件の友人に山頂からの写真を見せたら、景色よりも先に、湖の上に浮かぶ雲の形を見ていたく喜んでいる。曰く、湖の暖かい空気と山から降りてくる冷たい空気がぶつかってできる雲の理想的な形なのだとか。それを聞いた瞬間、僕は自身の無知が故にこれまでの27年間、こういった景色の数々を見逃してきたことに気が付いた。
ベランダからの景色、季節遅れの雪の日、旅行先で吹く風の異質さ。その中に隠れていた面白さの一つ一つを掬い上げられていたならと思わずにいられない。気候からはその土地の服装や食事が見えてくるだろうし、音楽や漫画の中に描かれた情景の特別さにも気が付けるかも知れない。天気や雲の形を理解して日々を楽しむ人はごく僅かだろうが、それに目が届くことは、僕にとってはすごく豊かなことだと思うのだ。
僕らが暮らすこの世界への解像度を上げると、きっと世界は今よりもっと美しく楽しいのだろうな。