王道と進化。くるり『ソングライン』は彼らが辿り着いた原点だと思う。

いい音楽

以前、こんな記事を書いた。

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要約すると、くるりは『その線は水平線』で彼らの王道とも言うべきスタイルに戻って来た。ただし、そこには『ハイウェイ』や『バラの花』と言った、くるりの過去の代表曲に通じる日本語の美しさのようなものは見られない。極めて散文的な詩と、シンプルなサウンドと、グッドメロディー。進化にして回帰、懐かしくも新しい彼らのアルバムに期待がされる、と言ったような内容だ。

自らの慧眼に脱帽しちゃうよまったく。

彼らの新譜『ソングライン』が、20年の時間をかけてたどり着いた「くるりらしさ」に満ち満ちた素晴らしい作品だったので、今日は愛を込めてその話を。

くるり『ソングライン』

前述の記事内でも申し上げたが、くるりとは変化のバンドである。アルバムによって作風や世界観は全く違うし、まずそもそもメンバーからして違う。ここ数年は『坩堝の電圧』『THE PIER』『琥珀色の街、上海蟹の朝』と、それぞれ違う方向に尖ったアルバムを立て続けにリリースしたくるりだが、今作『ソングライン』では、正にくるりの王道とでも呼ぶべきスタイルへの回帰を見せた。

くるりの持ち味がミッドテンポのバラードにある事に疑いの余地は無い。『ばらの花』『ハイウェイ』『宿はなし』『男の子と女の子』。いずれも彼らの代表曲であり、大多数のリスナーにとって「くるりらしさ」とはこの辺りの楽曲を示す言葉だろう。ところがここ数年のくるりは、その時々の潮流によってコロコロとスタイルを変え、前述のような作風をあえて外していた節すらある。

そして遂に今作、くるりが「くるりらしさ」と真っ向から向き合った。

そして、歌とメロディを中心に据えて作られた今作は、過去に見せたどのくるりよりも、くるりらしさに満ち満ちたアルバムとなったのだ。

 

岸田のボーカルの進化(深化)

さて、このアルバム、僕としては『ワルツを踊れ』の牧歌的で異国感のある雰囲気と、『魂のゆくえ』のカントリーチックな作風を併せ持ったアルバムだと感じている。随所に見られるオーケストラサウンドと、フォーク/カントリー寄りの作風が寄与する部分が大きい。そんな中で一本、このアルバムのど真ん中を貫く柱は、やはり岸田のボーカルだろう。

その情感たるや、知らずの内に僕らの心を震わせ、そしてその優しさをたたえた歌声は、楽曲の浸透力を恐ろしいまでに高めていく。

『魂のゆくえ』がおよそ10年前、『さよならストレンジャー』はさらにその10年前。20年もの間、岸田の歌は深化を続けている。『東京』に見られた若さや熱量は無いし、『太陽のブルース』のあっけらかんとした気楽さも無い。代わりに岸田の歌声に宿ったのは、僕らの琴線に触れるその情感だ。

その証拠にこのアルバム、妙に耳に残る。決してフックとなるポイントが多い音楽ではない。けれども気付くと頭の中ではくるりが鳴っている。そうしていざ聴いていると胸が締め付けられるような切なさがある。

表題曲である『ソングライン』はその明るい曲調に反して僕らの心に涼しく寂しさを残していくし、『だいじなこと』のわずか1分半に内包された切なさは映画の1本にも勝るとも劣らない。2018年の岸田の歌声は、こんなにも僕らの心を震わせ、魅了する。そしてその歌声は、当たり前のように抜群のメロディと合わさり、このアルバムを忘れがたい大傑作へと押し上げていくのだ。

そしてアルバムのラスト、『News』でポツリと漏らした

気付けば俺もオヤジだ

という歌詞には思わず胸がいっぱいになったものだ。

くるりがくるりの王道と向き合って作られたこのアルバムの最後で、岸田自身が過去を見つめ直す。そうして見付けた「オヤジ」と呼ばれるまでに歳を重ねた自分自身。そこには幾らかの諦観と自虐があろうが、それ以上に自分への”許し”を感じる。

実験的な手法を持ってして、様々な音楽表現に挑戦してきた過去の自分。もういいんじゃねぇか。そんなボヤきが、岸田の口をついて出たような気がしてならないのだ。

奥田民生でなく、斉藤和義でなく、竹原ピストルでもなく、岸田繁。皆若い頃よりもオヤジになってからの方が味が出たような奴らだ。きっと岸田も、最高のオヤジになる。

 

『ソングライン』は名盤

タイトルでもある「ソングライン」とは、アボリジニの言葉で、彼らの間で脈々と歌い継がれる歌のことを指す言葉。旅をどう進めれば安全にたどり着くのか、食料を得るためにはどこに行けばいいのかなど、先人が旅の中で得た知識と経験が、歌という形で受け継がれているらしい。

そんな名を冠したこのアルバム、単純に考えるのであれば、過去から現在へ彼らの音楽は脈々と受け継がれていて、今のくるりが過去のくるりの延長線上にあるというメッセージだと受け取れる。もっと言えば、くるりの音楽の本質を探ろうとした時に旗印となるような、そんなアルバムだという決意の形とも受け取ることができるんじゃないだろうか。

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