ラストライブに思う事。チャットモンチーの完結に寄せて

いいライブ

2018年7月22日、チャットモンチーは完結した。

彼女らのライブを観るのは初めてではない。初めて見たのは2012年のフジロック。当時既にドラムの高橋久美子は脱退していて、2人体制。ルーパーを使ったり、パートをくるくると入れ替えたりしながら、とにかく「2人でできることを必死にやる」という覚悟が伝わるライブだったのをよく覚えている。

つまり、今回の完結のライブが、僕が観る2回目にして最後のチャットモンチーのライブだった。

そして今回、徳島でえっちゃんの歌声を聴いた僕が、堪えきれない涙と同時に感じたのは、「もっとライブに行っておけば良かった」という後悔だった。きっとどれだけライブに通っていてもこの後悔は無くならないのだろうが、とにかくこの時痛烈に感じた後悔と、「この歌をもう聴けない」という事実に、僕はボロボロと溢れる涙を止めることができなかった。

今日はそんな、大好きなバンドの最後のライブの話をしよう。

解散ライブ

実は、アーティストの解散の場面に立ち会うのはこれが初めてだ。今まで好きなバンドが解散してきたことは何度もあったが、その解散ライブを目撃したことは無かった。

解散ライブというのは、どんなアーティストのライブであってもグッとくる。いずれもYoutubeで映像を見たに過ぎないけれども、『NUMBER GIRL』の札幌、『山口百恵』の武道館、『The Music』のフジロック、『毛皮のマリーズ』の武道館。どれも何回観たって目頭が熱くなる。自分の青春と、葛藤と、苦悩と、喜びと共にあった音楽が、その演奏を最後にもう聴けなくなる。その映像のリアルタイムに僕はいないけれども、その場の観客の想いに当てられて、感情を大きく揺さぶられる。

もしくは、時代を駆け抜けたアーティストがその舞台を降りるその瞬間。前田敦子の引退宣言、浅田真央の最後の演技、志磨遼平のマリーズとしての終焉。彼らが背負っていた想像もつかない愛情と、華々しい重圧と責任。それを手放す瞬間のことを思うと、どうにも胸がいっぱいになる。

もちろんアルバムも音源も半永久的に残るし、そのライブ自体も映像として残り続けるかもしれない。けれども、大好きなバンドの解散というのは、もう少し上流の感情を揺り動かすもので、言うなれば、友人を亡くす事に等しい。人生の一時代を共に過ごしてきた音楽。解散の前後では、その音楽を聴く意味合いは少し変わってくる。解散前に当たり前に聴いていたあの音楽が、2度と同じ響きを持って聴けなくなる。それが解散なのだ。

であればこそ、僕らはライブに行くべきだ。

好きなアーティストであればなおさら行くべきだし、好きでなくとも気になるのであればライブには足を運ぶべきだ。

この日、一緒にチャットモンチーを観に行った友人がこんなことを言っていた。

自分がどれだけチャットモンチーが好きだったのかに気付くことができたから、今日は本当に来て良かった。

ライブに行かなければそんな事にすら気付けない可能性もある。それはとても悲しい事だし、あなたにとっても、アーティストにとっても、こんなに悲しい事はない。僕自身、ライブを観て音源ごと大好きになったアーティストが何組もいるし、ライブは大好きだけど音源は好きじゃないなんてバンドもいる。ライブにはライブにしかない魅力があって、大好きなアーティストのその一面を知らないままに日々を過ごすのは、あまりに勿体無い。

1回も観た事がないのであればまずは1回。それが最高のライブだったのであれば2回。あとはあなたの気が向くまま、行けるライブに可能な限り行けば良い。ライブに行って後悔する事なんて滅多にあるものではないし、何よりいざそのアーティストが解散する時にはどうせ行かなかった過去を後悔する事になるのだ。観に行けるだけ行けば良い。

永遠に活動し続けるアーティストなどいない。願わくば、手遅れにならない内に、あなたがあなたの大好きな音楽と出会えるように。ある種の祈りを込めて進言させてもらおう。

後悔する前に、ライブに行くと良い。

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