大学時代、とにかくお金が無かった。
馬鹿みたいにかけ持ちをしてシフトを入れていたアルバイトのおかげで、最低でも月12~3万は稼いでいたのだけれども、僕のお金は気付いた時には何処か余所の財布に収まっていた。友人との酒代か、スタジオか、漫画か、古着か。その使途は定かではないけれども、毎月1〜2万円をCDに費やしていたのだけは覚えている。新品のCDを買うことも勿論あったけれども、その内訳の大部分は、ディスクユニオンで買う中古のCDだった。
というのも、僕が足しげく通いつめたディスクユニオンの下北沢店には、新作・中古の棚の他に、CDが驚くような安値で叩き売られている棚がある。そこではYUIやらORANGE RANGEやらの、およそ下北沢では売れそうにないCDが乱雑に並べられていて、アルバムであっても300円〜800円くらいの値段で売られているのだ。
そしてそこには稀に「どうしてお前がこんな所に!」と叫んじゃうような名盤たちも紛れ込んでいて、僕はそれを掘り当てるのに夢中になった。
INU『メシ喰うな!』、スーパーカー『スリーアウトチェンジ』、チャットモンチー『耳鳴り』、SPARTA LOCALS『SUN SUN SUN』、レミオロメン『ether』 etc…今も僕のCD棚の前列(1列目に並ぶのはお気に入りの1軍たち。アイドルと一緒だ。)に並ぶCDの大部分は、そこで掘り出し、二束三文で買い付けたお宝たちだ。
洋楽のCDはあまり叩き売られないので出会いは少なかったが、邦楽に関して言えばあの棚はまさに宝の山。暇さえあればディスクユニオンに足を運び、掘り出し物を物色する。既に音源を持っているアルバムをフィジカルで買い直すこともあったし、聴いてみたかったアーティストのアルバムを見つけて買うこともあった。
そうして溜まったCDは300枚を超えただろうか。実家の棚が埋まったので、ディスクユニオンのトレジャーハンティングを引退した。
少しばかり時間は流れ大学2年の冬、正月セールで安くなっていたのに気を大きくして、雀の涙程度には貯めていたバイト代をはたいて、ちょっと良いコンポとスピーカーを買った。比較的定番なDENONのやつだ。
この買い物が僕の音楽体験を劇的に変えた。
当時はまだストリーミングの音楽サービスが普及しきっていない時代。それまでの僕は友人との貸し借りや、駅前のTSUTAYAでレンタルしたCDをiPodに取り込んで聴いていたが、コンポを買ってからというもの、部屋でCDを聴くのが何よりも楽しくなった。帰って来たらその日の気分に合わせてアルバムを選び、流す。1時間ほど経ってアルバムが終われば、また別のものをかける。当たり前のように聞こえるけれども、シャッフル機能だったり、自由に曲を選べるiPodの気楽さに慣れた僕にとっては新鮮な作業だった。
CDで聴くことのメリットとしてまず思いつくのは音質だろうし、確かにCDで聴くと音は良かった。けれども正直僕は音質なんて気にしちゃいなくて、「CDで聴く」という行為が単純に楽しかったし、周りとは違う聴き方をしていることが誇らしかった。
当時はそうやってCDを聴くこと自体を楽しんでいたけれども、今こうして考えてみると、この行為を通じてCDコンポが僕に教えてくれたのは「アルバムは通しで聴くもの」だということだ。
先日こんな記事を書いた。
この記事でも書いた、僕のアルバムに対する考え方には、このCDコンポが大きく影響している。
一度再生したら最後まで聴く。CDで音楽を聴くとなると途中でコロコロと曲を変えることができなくなるから、自然とアルバムを通しで聴くようになった。そしてそうなるとアルバムに求めるものも変わってくる。それは「世界観の一貫性」だ。
アルバムを聴き始めた時は元気な気分だったからこのアルバムにしたのに、中盤でミッドテンポのバラードが続いてガラッと空気が変わってしまう。もしくは、落ち着きたくてゆったりしたアルバムにしたのに、途中で一曲だけ挟まれるやたらロックな曲に邪魔される。そういう事の無いように、アルバム全体を通して雰囲気や音楽性が一貫しているものを選ぶ癖がついた。
気合を入れたい時はサンボマスター『サンボマスターは君に語りかける』をかけたし、本を読みたい時はSAKEROCK『MUDA』を、冬の寒い日には毛皮のマリーズ『ティンパンアレイ』を、ハッピーな時はCymbals『anthology』をかけた。
アルバムは一つの世界観を体現するために作られたいくつかの曲の連なりで、その曲たち全てに共通する世界観がある。それが最初から最後までブレない作品が、僕にとっての「良いアルバム」となった。CDコンポが、それを僕に植えつけた。
今も僕の根底にある、アルバム形態を重視するポリシー。先日新幹線に揺られながらそのルーツについて考えていた。
僕の場合はそれが、DENONのCDコンポとディスクユニオンの安売り棚だったのだろう。