カネコアヤノが書く曲は、どれも僕らの生活の延長線上にある。いつもの日常から手を伸ばせば届く、ほんの少しだけスペシャルな場所を描いた楽曲。僕はその事を「暮らしがある」と表現したりもするのだけれども、彼女の歌はまさにドンピシャだ。
ホームアローン
この暮らしもようやく慣れてきた
手遊びが 大きくなった今でもなおらない
-『Home Alone』
クローゼットの中で一番気に入ってる ワンピース着て行くね
帰りには焼肉でも食べたい
大切なのは明るい明日だ
-『エメラルド』
何にもない日もプレゼントの交換しようよ
大人になったね
君って歯並び悪いね 今気付いたよ
-『アーケード』
あなたが振り返らなくても
姿が見えなくなるまで
気づかれないように見送る
できないことも頑張って
やってみようと思ってる
-『祝日』
元から好きだったものの、フジロックで観てからというもの完全にどハマりしてしまった僕である。4月にリリースされた彼女の新譜『祝祭』の素晴らしさを簡潔に語ろうと思う。
カネコアヤノ『祝祭』
森の中の小さなステージに現れた彼女は、裸足にワンピースというシンプルな出で立ちで、ギター1本とその歌声で観客を魅了した。そのファイティングスピリットというか、歌い手としての自信、もしくはSSWとしての在り方に射抜かれたのは僕1人ではあるまい。
中でも僕を魅了したのが、最後に披露した『グレープフルーツ』という曲。
女性にしてはハスキーで、少ししゃがれたような歌声。コード進行だってありふれたものだし、歌も特別上手い訳ではない。けれども彼女の歌にはパワーとリアリティがあって、彼女が、カネコアヤノが乗っている。それはきっと等身大の言葉を、全身で歌い上げる彼女のスタイルがそうさせるもので、となるとやっぱり音源よりもライブの方が彼女の魅力が伝わるというもの。
それを一番強く感じたのがこの『グレープフルーツ』だ。
今の私 甘い砂糖と苦いグレープフルーツみたい
サビのこの歌詞だけでも国宝認定してしまいたいところだが、僕にその権限がない事を口惜しく思う。
このアルバム内で間違いなく最強のCメロも勿論良いが、僕はやっぱりサビだ。朗々と歌い上げるこの「グレープフルーツみたい」という歌メロの素晴らしさったらない。シンプルな直喩の中には、彼女の独白にも似た空気感があって、決して口には出さない気持ちを歌に乗せて僕らに見せているような、そんな気配が見え隠れするのだ。
思えばアルバムのクロージング、『祝日』でもこう歌っている。
できないことも頑張って やってみようと思ってる
唯一バンド編成ではなく、アコギ一本の弾き語りで収録されたこの曲で見せるカネコアヤノの人間味。彼女の歌から感じる「暮らし」は案外、こういうところに宿っているのかもしれない。日常の景色の描写ではなく、あくまで内面の吐露。「(グレープフルーツと祝日は)コンプレックスから生まれた」とは本人の言葉であるが、その弱さも歌にして、今までできなかったこともやってみようとするその姿勢。グッドバイブスであることよ。
思うに、ここまで日常に肉薄した曲を各アーティストって少ない。それが誰にでも想像しうる近さの生活感となると尚更だ。強いて挙げるならEMCくらいじゃないだろうか?
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カネコアヤノが最高なんだぜ
冷たいレモンと炭酸のやつ飲みたいな pic.twitter.com/Ip9h5s1frs
— フジイコウタ/ピザ (@repezen0819) 2018年6月30日