前回の閉店間際「カネコアヤノが歌の中で二回言うことは本当に大事なこと」という話題で盛り上がってたのしかった
— はくる (@silonica) April 30, 2019
このツイートをもって、また一つ僕らはこの世界の本質への接近を果たした訳なのだけれども、これはあまりにも大発見じゃなかろうか。この会話で盛り上がれる友人が何人いるかに、僕の人生の豊かさは大きく左右されるだろうなぁ。
そして先月リリースされた彼女の両A面シングル『愛のままを/セゾン』は相変わらず「This is カネコアヤノ! 」と膝を打つ良曲なのだよ。今日はその話をさせてほしい。
『セゾン』
カネコアヤノの音楽って「日常に寄り添いながら、その喜びや美しさを詰め込んだ音楽」だ。
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そんな僕らの日常はまさに昨日、平成から令和という大きな変革を迎えた訳なのだけれども、じゃあ何が変わったのかって聞かれると、実は何にも変わっちゃいない。
カレンダーをめくろうがめくるまいが毎日は続くし、深夜の雨は明け方の街を濡らしたままだ。未だに僕が一番好きな漫画は『鉄鍋のジャン』だし、我が家の珪藻土のバスマットはあまり水を吸わない。
そんな日常が続いていくことを、カネコアヤノも歌っている。
たぶんこれからも続いていく
テーブルの上 雑に置かれた財布と鍵
丁寧な愛 油断した心に
安心するんだよ 不思議とさ
誰の心にもあるであろう風景を、実直に、リアルに、彼女は紡ぎ出す。
極め付けはここだ。
ミモザが揺れる
四月も終わる
四月も終わる
毛布をしまう
ああ、そういうことなのだよな。「四月が終わる」ってのは「平成が終わる」ってことじゃなく「毛布をしまう」ことだってこと。そんな何気ない日常への愛おしさが、彼女の歌には溢れている。
冒頭の大発見に基づいて引用をさせてもらうと、「本当に大事なこと」ってこの一文に凝縮されている。
気にしているのか 幼いことを
SNSやら仕事やら、背伸びが日常となってしまった僕をそっと窘めるようなフレーズだ。それで言うと、僕は僕の幼さを、ずっと気にしている。まあそれも良し悪しだと思っている。
『愛のままを』
Youtubeのこの音源は弾き語りだが、シングルに収録されているのはバンドで収録されたバージョン。これがまた取り分け素晴らしくて、前アルバム『祝祭』よりも加速したバンド感にグッときてしまう。特に
みんなには恥ずかしくて言えはしないけど
お守りみたいな 言葉があって
出来るだけわかりやすく返すね
胸の奥の燃える想いを
という彼女の言葉を受けた、0:55からのギターソロのかっこよさにはシビれてしまう。時に楽器って言葉よりも饒舌だ。
あなたには恥ずかしくて 恥ずかしくて 恥ずかしくて
お守りみたいだ 振り絞った言葉は
出来るだけ 愛のままを返すね
胸の奥の燃える想いを
タイトルにもなっているこの歌詞が彼女のアティチュードを象徴するようなフレーズだとして、「胸の奥の燃える想い」は、燃えている今この瞬間に、ありのままを伝えなければ、きっと次第にしぼんでいってしまう。けれども、そうして振り絞った言葉はあなたにとっても、私にとっても「お守り」となる。刹那的で、その煌めきをずっと心に留めておくような、そんな真摯さがこの歌詞には満ち満ちている。
思えばカネコアヤノというアーティストは、ずっとそうだ。
それはそう
あなたと目を合わせるようなこと
みんなに内緒もいつまでできるかな
『祝日』
短い夜に私たち遊びたい
光って消える花火みたい
『恋しい日々』
朝はエメラルド
凄い速さで駆けていく
考えてみても仕方がないことばかりだね
『エメラルド』
日々に根付いた心情の機微、一瞬の煌めきと不安を掬い上げ、いつまでも大事にしまい込む。それを彼女は「お守り」のように事あるごとに思い出し、歌い上げる。
どこにでもある日常の素晴らしさに気付かせてくれる。時代を象徴する、稀有なSSWだと思う。