100記事目:上手い文章といい文章

今書いているこの記事で、僕のブログの記事数が100記事に到達します!

昨年末にこのブログ『このピザあなたと半分こ』を開設してから8ヶ月程。ペースとしては遅いのかもしれませんが継続は力です。この調子で執筆ペースをサクサクと向上させていき、今年の12月に200記事目が書けてたりすると素敵だなぁと思っていますがあまり現実的ではない気がします。

嬉しいことに知人達から「読んでるよ」とか「やってるねぇ、いいじゃん」などの声をいただく事がありますが、大変励みになりますのでもっと言ってほしい。色々な目的があって始めたブログですが、普段あんまり会えない友人達に僕の生活とか思考を見てもらうっていうのも大きな目的の一つなので、僕を知っている皆さんはもっとガンガン僕のブログを読んでください。んでもって半年とか1年とかぶりに会った時には「ブログ読んでるよ!」とか「こないだ◯◯したらしいじゃん!」とか、あたかもしょっちゅう会っていたかのように飲んだりできたら最高ですよね。僕のブログ読んでください。

さて、何もめでたい事ではないのですが折角の節目なので、普段は語らない僕なりのブログ論を展開したいと思います。お付き合いください。

 








『上手い文章』と『いい文章』

先日よくお酒をご馳走になる先輩から「お前の文章面白いよ」という言葉をいただきまして。

もしやするとお世辞だったのかもしれませんが、その日はたまたま本音と建前判別スイッチをオフにしており今となってはこの言葉がお世辞だったのかどうかを判別する術は残されておりません。

その彼は出版社で雑誌の編集をしている、いわば文章のプロみたいな人でして、そんな人が僕の文章を褒めてくれるだなんて嬉しい事だと舞い上がっていたのですが、そんな彼と話しているとたまに「文章を書く事の難しさ」みたいな議論になります。

先日こんな記事を読みました。

文章は、歌う。うまい文章とは文字による音楽だ

一番重要な文章だけ引用させていただくと「うまい文章=リズムがいい文章、もはや音楽のように頭に入ってくる文章」だという記事なのですが、これが結構普段から僕が考えていた事と通じる部分がありました。

 

文章の書き方

文章を書く時って、内容以外にも気にする点がものすごく沢山あるんですよね。

  • 句読点の数、位置
  • 改行の位置
  • 表記(漢字がいいのか、ひらがながいいのか etc.)
  • 鉤括弧の使い方(使うか使わないか、「なのか『なのか【なのか etc.)
  • 助詞・接続詞(適切なものを使っているか、そもそも必要なのかどうか etc.)
  • 誤字脱字

等々。この辺の事に割と気を付けながら文章を組み立てていくんですが、これって要は全て、文章を気持ち良く読ませるための工夫だと思ってます。

実際に自分で書いた文章を見直す時に、黙読・音読してみると変な箇所ってゴロゴロ出てくるんです。これは単に僕の文章力が足りないからだとは思うんですが、一度読み直してみて気になった箇所を全て修正して記事を公開する、んでもって次の日にもう一度読み返してみると昨日は気にならなかった所が気になったりする。正直イタチごっこです。

この時に気になった、もしくは違和感のあった箇所って、やっぱりリズムが良くない文章なんです。音読してみたら1発でわかると思います。そういう文章って読み進めていった時に内容が頭に入ってこなくてどうしても躓いちゃうんですよね。逆に完璧に淀みの無い文章は、例え一文がどんなに長くてもサラッと読み進められる。

ですから前述の記事でも言われてる通り、「上手い文章=リズムのいい文章」っていうのはその通りだと思います。

 

いい文章

ここまでの話は『上手い文章』の書き方の話です。これってほとんどテクニックみたいなもので、このテクニックを忠実に実践してさえいれば『上手い文章』って誰にでも書けると思うんです。実際ブログやメディアの記事、仕事のメールとか読んでいても『上手い文章』を書く人ってめちゃめちゃ多いし、逆にそれが出来ていないとブログは読まれないし、仕事のメールは要点が伝わらない、つまらないブログや仕事の出来ない人っていう評価を受けてしまう。

つまり、『上手い文章』ってのはブログや記事においては最低限必要な要素で、ブログとして多くの人に読まれるためにはプラスアルファで必要な要素があります。それが『いい文章』です。

例えばこの記事

青春ゾンビ – 湯浅政明『四畳半神話体系』

もはやポップカルチャー界隈における羅針盤のような存在となっているブログ『青春ゾンビ』のヒコさんの文章は毎回凄まじく『いい』。膨大な知識量と洞察眼、そしてカルチャー・作品に対する尋常じゃない熱量の愛。この方の記事を2つ3つ読もうものなら、たちまちヒコさんという人物の人となりが見えてくるというもの。

あとはこの記事の『andymori』の箇所

BASEMENT-TIMES – 大学生にはギリわかって高校生にはギリわからない 2000年代後半の邦楽ロックを振り返るpart2

これも『いい』。軽い文体でありながら熱量のしっかり伝わる文章で、何がいいって偏りのエグさである。この人らしさが出まくってるし、この記事読んだだけでワンオクとかEXILEとかが嫌いなのが一発でわかる。

 

『いい文章』とは?

つまる所、僕の考える『いい文章』っていうのは『筆者の顔が見える文章』です。まあこの部分に関しては各々の意見もあると思うので、ひとまず僕の考えではそうだという前提で話を進めます。

読んでいて「誰でも書けるな」って思う文章って結構多いんです。

例えばWebメディアの記事。あーいう媒体はどうしたって客観視を貫かなきゃいけないから、主観を挟む余地があまり残されていない。そしたらその記事を書いた筆者の色みたいなものは必然的に出しにくくなりますよね。あとはキュレーションメディアなんかはその最たる例。そもそもバイトが書いてるような記事だし、個性を出そうなんて意識すら無い。情報が集まっているだけなので便利かもしれませんが、個人の顔が見えてこない情報って信憑性もちょっと怪しくないですか?

その点ブログはあくまで個人の発言だし、炎上しようが叩かれようが僕の責任でしかない。当然その分僕自身の意見は発言しやすくなります。そうなれば僕の個性は文章に現れやすいはずだし、僕の事を知ってもらえば僕の話もスッと入っていくと思うんです。

僕自身「この人がいいって言ってるアーティストだし聞いてみよう」とか「この音楽好きな人が好きな漫画は絶対僕も好きだわ」とか、他の方のブログを読んで発見するアーティストとか作品ってものすごく多いんです。だから僕がやりたいのは「これ好きならこれも聞いてみて」とか「渋谷系好きならこの漫画絶対好きだよ」とか、そういう事。

もっと言えば、僕にしか書けない文章を書く事、そしてそれを通じて僕という人物を知ってもらう事、最終的には僕が好きなものをもっと色んな人に好きになってもらう事なんです。

 

『いい文章』の書き方

僕自身、そういう『いい文章』が書けている自信はあんまりありません。ただ、『いい文章』の書き方はなんとなくわかってきていて、それは『必死に書く事』だと思ってます。

文章を書くっていうのは自分との戦いです。脳ミソひっくり返して、持てるボキャブラリーの全てを引っ張り出してくる。一つのモノを語る時、最も相応しい言葉がなんなのかを何通りもの言葉で組み立てては、あーでもないこーでもないと組み直し、やっと一文が完成する。全体のバランスを取りながら文を繋げていき、これまた組み替えたり順序を変えてみて最適な形を模索。それを何十回も何百回も繰り返して初めて文章が完成する。

文章っていうのはクリエイティブなので、世の多くの創作物が生み出されるプロセスと同じ道筋を辿って生まれます。時間と根気をかけ、自分の持てる力の全てを絞り尽くして初めて『いい文章』が書けると、そういう風に僕は思ってます。

それって大変かもしれないけど、完成した時はやっぱり楽しいんですよね。だから僕はブログを書くのがかなり楽しいです。今こうやって続けてこられてるのは、続けられているっていうよりも、単純に楽しいから続けているって言った方が正しいかもしれません。

 

おわりに

長文になっちゃいましたが、以上が僕のブログ論です。

上手い文章は当然だし、いい文章を書きたい。サマるとそれに尽きます。

まだまだいい文章は書けませんが、これからも僕はブログを書き続けます。是非気が向いた時に読んでみてください。

これからもよろしくお願いします!

 

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