サンボマスターは戦っている。
僕らの悲しみや孤独、傷跡と。踊れない夜と。クソみたいな毎日と。サンボマスターはたった3人で戦っている。
彼らにとってライブとは戦いなのだ。その証拠に、あの暑苦しいMCの最中事あるごとに「かかってこいよ」と彼は言う。かかってこいよ、踊ろうぜ。クソみたいな毎日のこと、今だけは全部忘れて踊っちまおうぜ。そしてあの空間を共有した後、僕ら観客をロックンロールと呼ぶ。自らの音楽をロックンロールと呼び、一緒に戦った僕らをもロックンロールと呼んでくれるのだ。
Vo.山口の早口に捲し立てられる言葉は真摯で、とにかく全力で、その剥き出しの感情をぶつけられた観客は、気が付けば両手を掲げて、叫びながら、下手をすれば泣いている。MCを聞くだけで胸は熱を帯び、ギターソロには心を揺さぶられる。
少し話は逸れるのだが、僕は時折、小室哲哉の引退会見の最後の一節を思い出す。
僕たった一人の人間の言動などぜんぜん、日本であったり、社会が動くとはまったく思ってませんが、先ほども言いましたように、高齢化社会に向けて、介護の大変さであったりとか、それから社会のこの時代のストレスであったりだとか、少しずつですけれど、この 10 年で増えてきているのかなと思っているので、こういったことを発信することで、この日本を何かいい方向に、少しでもみなさんが幸せになる方向に動いてくれたらいいなと、心から思っております。微力ですが、少し何か、響けばいいなと思っております。ありがとうございます。
アーティストという人種は敏感だ。僕ら一般人が無意識に感じている閉塞感だったり、悲しみだったり、恐怖を、アーティストはその鋭敏な感性でもって掬い上げ、音楽や文章、芸術としてアウトプットする。逆にそれを感じ取ることができない多くの人々は、理由もわからず無意識のうちにイライラしたり、不安になっているのだということを、僕はこの小室哲哉の言葉から学んだ。今の日本を、正に表している言葉だと感じた。
少子高齢化、年金問題、ミサイル、震災。僕らは日々不安に晒されていて、そして凡人たる僕らはそのことに気が付けない。
この記事を書いている今日、正に3.11。サンボマスター・山口の故郷は福島だ。数多いるアーティストの中でも最も傷つき、そして最も戦ってきた男だろう。一度ライブを聞けば、一度そのMCを聞けば、彼の悲しみと憤りがわかるというものだ。そして僕らは、そんなサンボマスターの姿にどこまでも救われる。不器用に、まっすぐに、絞り出すように「死なねえでくれ」と訴えかける山口の言葉に心が震える。愛と平和を撒き散らしながらギターをかき鳴らすその姿には美しさすら感じる。
凡人たる僕にできることは限りなく小さいのだけれども、サンボマスターの音楽は世界を変え得ると思うのだ。せっかくブログを書いているのだ、この事を発信する事で、サンボマスターに救われる人が1人でも増えるといいと思う。