「ceroの新譜」は、いつだって音楽界の新しい一歩だ。
ネオソウル・ファンクのブラックグルーヴを下地に、極めて現代的なポップスとして昇華させた前作『Obscure Ride』から3年。最新作『POLY LIFE MULTI SOUL』と共に姿を現した彼らは、再び僕の期待を裏切った。もちろん最高な意味で。
民族的なビートと存在感の強いパーカッション。多層的に織り成されたサウンドと意図的に残された余白。管楽器の抜けた穴を全く違う形で埋めるコーラス。「川」や「水」というモチーフとともに、どこか仏教を想像させる歌詞。そして多用されるポリリズムは根源的な心地良さを多分に含んでいて、僕らを脳の奥底から踊らせるようなダンサブルさが半端ない。
そして何より、中南米を想起させる民族的なエッセンスで構成されているにも関わらず、耳触りはあくまで洗練されていて、極めて都市的であることに僕は空恐ろしさすら覚える。
今回この名盤『POLY LIFE MULTI SOUL』のレビューを書くにあたり、2本のレビューを書いている。多角的・多層的な要素を併せ持つこのアルバムを語るに、どうしても切り口を分ける必要があったためだ。この記事はそのB面。A面は以下のリンクから。
→cero『POLY LIFE MULTI SOUL』は、僕らに新しい音楽を聴く楽しさを教えてくれる
A・B面、どちらから読んでいただいても構わないがA面が音楽体験的な側面で書いているのに対し、このB面はその音楽性と僕の興奮だけで書いている。良ければ読んでみてほしい。
ダンスミュージック
とっつきにくい音楽だとは思う。だって、僕らはこの音楽での踊り方を知らなかったから。
だけれどもそんなものは関係ない。この音楽は僕らの原初の記憶に「踊れ」と訴えかける。僕らの遺伝子に刻まれた最強のリズム。ceroは膨大な過去作からそのリズムを探り起こし、その恐ろしいまでの手腕でもってして、現代のポップスとして蘇らせたのだ。
さて、一度聴いただけでは掴みきれなかったこの作品の輪郭も、2周3周と聴き進める内に次第にくっきりと見えるようになる。
作品内には常に複数のリズムが走り、時に交わり時に離れながら一つの音楽として形を成している。その中で楽器達はそれぞれ固有の役割を持ち、常に共走する相手を変えながら鳴らされている。
リード曲である『魚の骨 鳥の羽根』なんてそれが顕著だ。聴いている内に自分が今どの楽器のどのリズムでこの曲を聴いているのかがわからなくなる。メンバーへのインタビュー記事を読み漁るに、意図的に複数の解釈ができるような設計の元に制作された楽曲であるらしいのだが、極めてシームレスに2つのリズムを行き来するそのサウンドは圧巻。それでいて質感はあくまでクールに都市的。複雑なリズムでありながら、極めて骨太なダンスミュージックとしての骨格を持ち合わせている。
とまあ、そう言われてしまうと拍子を数えながら聴いてしまうものだが、分析的になる必要など全く無い。ただ聴いている内に得られる心地よさと、身体を突き動かすリズムが楽しめればそれで良い。
しかもこの重層的なサウンドがどれもライブで再現可能だというから恐ろしい。どんだけ躍らせる気だよ。
音楽的な複雑さを楽しむもよし、ただただ耳に美しい佇まいを楽しむもよし。どんな楽しみ方をも受容して余りあるのがこの『POLY LIFE MULTI SOUL』なのだ。
『POLY LIFE MULTI SOUL』が半端ない
ここでしたいのはアルバムの話ではく、アルバムのラストを飾る表題曲の話である。こいつがちょっと半端ない。
ここまでのポリリズム・変拍子だらけの楽曲群とは打って変わってシンプルな16ビート。しかも8分36秒という長尺。特異点でありながら表題曲。このアルバムを語るに避けては通れない楽曲だ。
聴き進めて行くと、その楽曲のうねりに驚かされる。
アフロ・ビート寄りのサウンドに慣れてしまった僕らの耳には、最初この16ビートはいささかシンプルに聞こえてしまう訳だが、ceroがリスナーに退屈を許すはずもない。
変化するベースライン、幻影のように見え隠れするシンセサウンド、静と動をスムースに切り替えるドラム。シンプルに繰り返されるはずの16ビートの中にはリピートはなく、絶えず変化しながら鎌首をもたげる様に高まって行くグルーヴに思わず息を呑む。そこには目を離し得ない凄味が満ち満ちていて、深淵で骨太なこの世界観にどんどんと埋没していく。
4分30秒、静から動へ、ドラムのフィルが僕らを押し上げる。耳にまとわりつくベースが僕らの意識を奥底へと沈める。ボーカルの発する言葉は既に意味を失っていて、ただその混声の美しい響きが耳を震わせるだけだ。
そしてラスト2分を残したところでこの楽曲は再び変貌を遂げる。16ビートから四つ打ちへ。そのサウンドとグルーヴはより深みを増し、そのダイナミズムに圧倒される。ceroというグループが持つグルーヴの境地が、ここでは遺憾無く発揮されていて、それを目の当たりにした僕らはただただそのうねりに圧倒されながら踊る他ない。
気付けば8分半という時間はあっという間に過ぎていて、僕らの中に残るのは夜の闇に一人投げ出された様な喪失感だ。
事ここに至って僕は理解する。『POLY LIFE MULTI SOUL』という怪作が持つ、不明瞭なままに踊らされるこの感覚、そしてどんなに潜っても底の見えない深淵さに、自分がとっくに魅了されていることに。
→cero『POLY LIFE MULTI SOUL』は、僕らに新しい音楽を聴く楽しさを教えてくれる